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画家書家 アーティスト内田百音(うちだもね)の活動ブログ


by uchidamone
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冥福

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「お元気でしょうか?」
最近、こんな言葉で始まるお葉書やメールを頂いたりします。
そして、柔らかな彩りのお花も贈って頂いたりして日々その優しさに癒されています。
どうやらブログ更新が遅れがちな為に、皆様にご心配をおかけしているようです。
ごめんなさい。

実は、昨年の東京、横浜、福岡と連続開催した展覧会の最中に私は大切な父を亡くしました。慌ただしく走り抜けた月日を経た後は、私には静かな内に入る時間が必要だったようです。父を思っては今でも涙が溢れますが、もう大丈夫だと思います。ここでブログに父の事を書く事で、気持ちを切り替えられるような気がしています。

昨年の5月下旬。展覧会開催の1ヶ月前に大切な父が危篤状態となりました。
アトリエでたくさんの新作の完成を余儀なくされていた私はその1ヶ月間「無」となりました。
深い悲しみや動揺は作品にも人にも会場にも表れてしまいます。悲しみに崩れてしまう自分を自分に許す事は出来ない最も厳しい時期でした。沢山のご協力下さっている方達に多くのご迷惑をかけてしまうからです。

今思い出しても壮絶な1ヶ月間でした。制作を続けている私にはいつも、もう一人の私がいました。今思うと不思議でなりませんが、アトリエの西側の上方から静かに冷静に自分を見つめているもう一人の自分がいたんです。崩れてしまわないようにじっと冷静に見つめられていました。けれども、父の状況を電話で聞いた翌日には、髪がごっそりと抜けました。そして、個展が始まる3日前に全てを整えて、私は福岡に飛び 人工呼吸をしている変わり果てた父の姿に 始めて泣き崩れました。

厳格な父でした。外でも家でもいつも姿勢を崩さない父は役人としては、偉くなりました。
役所で父が乗ったエレベーターには同乗出来なかった部下もいたそうです。そんな父の威圧感や縮まらない距離を嫌った時期もありました。でも常に絶対的な存在であろうとする事がどんなに大変な事かという事が今ならよくわかります。

退職後も休日は、ゴルフ帰りの局長仲間が我が家の客間でよく語らっていました。そんな時に私が居合わせると必ずお茶出しを命じる父でした。元長官だった方の秘書をしていたので、お茶出しなど何てことないのですが、そんな私が少しでも客人に誉められるととても満足そうな父でした。堅い父でしたが、ふとした拍子に私に向ける甘い笑顔がたまらなく愛しかった。
愛情表現に不器用な人でしたが、とても愛されていたんだと思います。

子供の頃から日常に厳しく、私が長く筆を持ち続けられたのは、そのお陰です。父の書く知的な字に私は密かにずっと憧れ尊敬を抱いていました。

他界して半年…。母はずっと父との思い出の中にいます。未だ納骨も出来ずにいて、
「父の骨を食べてしまいたい。父の元に行きたい。」などと言っては周囲を困らせます。
そんな深い愛で結ばれていた両親でした。
父と母に育てられた事を深く感謝して、父の冥福を祈りたいと思います。
今年は、私にとって大切な一年になると思います。亡き父の加護を肌に感じながら今まで以上に頑張ってまいりますのでどうぞ、温かく見守ってくださいませ。
この度は、ご心配をおかけしたようで、申し訳ありませんでした。
by uchidamone | 2011-02-17 13:18